日常会話で、小ボケを言いたくなる事は、誰しもあると思う。そんな時に、良い塩梅に変な言葉を発するというのは一つのやり口としてある。たとえば、昔お昼時に家族でラーメン屋を探していたら、兄が「俺は麺球眼に自信がある」と言い(1)、弟の口から「それを言うなら選麺眼では?」という言葉が自然に出た。その時、「麺球眼」は、元の形「選球眼」を妙な形式で崩しつつ意味は伝わり、かつ語呂が良くてちょっと言いたくなる丁度良い言葉だな、という心持がした。こういった小ボケを言う人は、既存の言葉や概念を出発点にして絶妙な崩し方を色々と考えているのだと思う。一方で、既存の概念から遠く離れた、型破りな事を言う人もいる。この手法を使っている身近な人でパッと思い浮かぶのは、以下の二人だ。
一人目は、昔同じ研究室にいたFさんだ。ある日、研究室のメンバーで、研究室にペットがいたら癒し効果で精神衛生が良くなって研究が捗るんじゃないか、という話をしていた。「魚を飼うのは水槽の掃除が大変なのでは」とか、「何を飼うにしても餌を入手しやすく与えやすい方が良い」とか、「犬や猫を飼ったら糞尿の処理が大変だし逃げてしまうのでは」とか、「鳥は籠に入れておけば逃げないが臭いのでは」、といった事を話していた。恐らく研究室でペットを飼おうとは誰も本気で思っていなかったが、もし本当にやるとしたら現実的なのはどんな動物か、という雰囲気の話題だった。その時、Fさんが「フンコロガシを飼いたい」と言い、場が盛り上がった。望月も変な動物を言いたいという気概はあったが、フンコロガシという発想はなかった。まず、癒し効果を得たいという文脈からかけ離れているのが良い。昆虫を見て癒される人は、いないとは言わないが少ないだろうし、昆虫の中でもフンコロガシで癒される人はさらに稀有だろう。また、選考基準である餌の与えやすさを度外視している所も良い。フンコロガシの餌が何なのかは知らないが、糞しか食べないとしたら餌を与えるハードルはかなり高そうだ。その時は、Fさんのような発想力を持ちたいと思い、悔しさで唇を噛んだ。ちなみに、Fさんは頻繁に冗談を言うタイプの人ではないので、本気でフンコロガシを飼いたいと思っていた節がある。実際、フンコロガシという候補に対して皆が口々にツッコミを入れた時、Fさんは「何がダメなんだ」という感じの態度だった。
二人目は、我が父君だ。昔、家族で鹿児島旅行をしている時に、マグにょんというご当地キャラクターを見かけた。鹿児島の桜島には活火山があるため、マグマが由来でマグにょんというキャラクターができたのかな、と推察した。その後、マグにょんは四人で構成されるグループの一員であり、他のメンバーの一人の名前がマルにょんである事が発覚した。その時、にょんだけ残すという事は火山はあまり関係なかったのか、という話になった。その流れで、次男である自分が「火山関係でもう少し名前を捻り出せるんじゃないか、たとえば火山灰から取ってハイにょんとか」と言ってみた。そうすると父親が、「ハイにょんって排尿みたいだな、ほうにょんとかも良いんじゃないか?」と言い出した。我々兄弟も、確かにそうだな、となり、皆で「つれしょん」、「ざんにょん」、「うれしょん」といった候補を出し合って楽しんだ。しかし、父親は一歩先を行っており、「だっぷん」という名前を提案してきた。我々が「にょん」や「しょん」に捉われて視野が狭まっている所で、音とニュアンス(2)だけを残すタイプの回答で世界を広げてきたのだ。その時、この人には敵わないなと思い、父親への尊敬度が1.7倍ぐらい増した。ちなみに、先日友人のS君にこの話をしたら、ほうにょんぐらいの所で彼は「じゃあ、だっぷんもあるね」と言っていた。S君は望月家当主より才能があるかもしれない。
1.意訳すると、ラーメン屋の善し悪しを見極める能力が秀でている、という意味。
2.文字だと伝わりにくいが、我々の会話では、「マグにょん」と「だっぷん」は同じ発音だった。