タイトルにあるように、人々は相対評価に基づいて自分の幸福度を測っているのでは、と思っている。比較対象は人それぞれだけれど。他人と自分を比較して幸福度を測るか過去の自分と現在の自分を比較して幸福度を測るか、という大雑把な分類をやってみたとして、望月は後者に当てはまるタイプだな、と先日思った。そう思うに至ったエピソードを2つ紹介したい。研究畑をうろちょろしているうちに、自分の上位互換どころか比較するのも恥ずかしいぐらいの人を沢山目にした結果、そのような価値観が形成されたのかもしれない。誤解を恐れずに大きな事を言うと、他人との相対評価で自分が幸せかどうか判定する人の方が不幸になりやすい気がする。基本的に他人をコントロールする事はできないからだ。
1つ目の話は、とにかく緑色の物を買い漁るという自分の特殊癖に関係している。緑色が好きなので、洋服や鞄、調理器具など、選択肢に緑色の物があれば多少性能が落ちてもそれを買うようにしているのだ。緑色の製品はキャンプ用品に多いため、我家にはどう見てもキャンプ用としか思えない棚やコップが沢山ある。食料品や洗剤などもなるべく緑色の物を買うようにしている。こんな事をしていると、服装における緑色の割合を何故か他人から評価されたりする。先日は、学生から「望月さん、今日は緑色少ないですね」と煽られ、「いや、ズボンが緑色じゃないか」と反論すると、「なんだ、それだけか」と言われたりもした。前置きが長くなったが、タイトルと関係ある話に戻る。先日、スーパーに食器用洗剤を買いに行った時、間違えて醤油を買って帰ってきてしまったのだ。緑色と何の関係があるんだと思うかもしれないが、食器用洗剤のjoyとキッコーマンの減塩醤油は両方緑色のボトルで売られているため、ウッカリ間違えてしまったのだ。その時は、自分はこんな簡単な事もできないのか、と思い落ち込んだ。次の日にまたスーパーに行き、ちゃんとjoyを買って帰れた時、多大な幸福を感じた。一度洗剤と醤油を間違え落胆した経験がなければ洗剤を買っただけで幸せを感じる筈がないので、これは幸福相対評価仮説に対する傍証だと思う。伊坂幸太郎作のゴールデンスランバーという小説でも、主人公が執拗な追手から逃げるために一か八かで大昔に乗り捨てられた車に乗り、エンジンがかかった際、泣きながら「車のエンジンがかかっただけで人って泣くのかよ」と言うシーンがある(1)。これも、極限状態の人は普段は何とも思っていない事に対して幸福を感じるという例だと思う。虎舞竜の歌でも、そんなニュアンスの歌詞がある(2)。
2つ目の話は、食生活に関係している。一人暮らしを始めたばかりの頃、自炊を習慣化しようと思い立った。そう思い立ったは良いものの、頻繁に料理をするのは面倒くさい。また、1回の調理から稼げる食事回数が2,3回程度だと、料理をした際の達成感より成果物が消えて無くなる虚しさの方が大きい。そこで、なるべく調理工程が少なくかつ最大限作り置きのできる食べ物を錬成し、両者の比(食事回数/調理回数)を大きくしようと試みた。1度の調理からできるだけ多くの食事回数を稼いでやろう、というわけだ。そのような食べ物として、最初に思い付いたのは漬物だ。火を使わずに生活を送ってやろう、という魂胆もあった。大根に出汁や醬油をぶっかけた物や胡瓜にキムチやニンニクをぶっかけた物、キャベツに塩昆布を乗せた物などを大量に作成し、それらをタッパーに詰め込んで長期保存した(3)。それから、漬物丼というこの世に存在しないオリジナル料理(4)を食べ続けた。今思うと栄養に偏りがありすぎる気がするのだが、当時はそんな事も気にせず暮らしていた。健康診断で大幅な体重減少が報告された時も、「太るよりは良いかな」などと思い、歯牙にもかけていなかった。漬物生活数ヶ月目のある日、ふとした拍子に大学生協の何でもないような唐揚げを食べた際、筆舌に尽くし難い程の旨味を感じ、危うく食堂で号泣しそうになった。食べ物でそこまでの多幸感を得たのは、人生でその一度だけだ。その時、漬物生活との差分で唐揚げから幸福を摂取できている事に気付き、幸せの相対評価についてしみじみと思いを馳せた。だが、流石に唐揚げを食べる度に泣く人間になってしまうと日常生活に支障を来すと思い、漬物丼生活からカレー丼生活に鞍替えした。カレーには肉が入っているので大丈夫だろうという算段だ。それ以来カレーを食べ続けて今に至るのだが、周囲の友人からは「今、お前がシチューを食べたら泣くんじゃないか」などと言われたりしている。流石にその程度の差分で泣く事はないと思う。
1.勿論、他にも細かい描写が色々ある。ここは名場面なので、是非ゴールデンスランバーを読んでください。他にも、主人公のお父さんが出てくる場面などが感動的だ。
2.昔、IPPONグランプリという大喜利番組で「魔法使いが覚えたけど、結局使わない魔法とは?」というお題が出た。それに対する、バカリズムの「何でもないような事が幸せだったと思う」という回答はとても良く、印象に残っている。
3.これらが漬物なのか、という議論を始めたら喧々諤々だろう。ここでは、「最初の調理工程が少なく放置しておけば美味しくなる食べ物」という意味で「漬物」と書いている。
4.共同研究者から、これはオリジナルではなく先行研究がある、という指摘を受けた。まぁ、ここはオリジナリティを競う場ではないので赦してもらいたい。ちなみに、その人と漬物丼に関する共同研究を行っているわけではない。