本当の気持ちは色々な気持ち

ホームページを作った当初(2017年半ば)は定期的に自分の思想や思考をツラツラ書こうと思っていたが、三日坊主どころか駄文を一つ載せただけで長らく停滞してしまった。久々に3年前の自分の文章を読むと、内容はともあれ文体が気持ち悪いと感じたので少し修正した。修正した所で五十歩百歩な気もするし、どのような文体が適しているかに正解など存在しない気もするけれど。知人に唆されてさらに何か書こうと思い立った事は何度かあるが、その度に「そんな事をしている暇があれば研究を進めるなり論文や教科書を読むなりした方が良いのでは?」という考えが頭を掠めて断念した。最近は休憩がてら小説などを読んでいても鍵括弧内の考えに捉われてしまう始末で、複数の知人にそれは良くないと諫められたし、これは一種の病だという自覚はあるけれど、簡単には治らない。もちろんこれを書いている最中もその考えを拭う事はできていないが、文章を書く事自体は好きであるし、自分の考えを書き連ねたり公開したりするのは多少なりとも意味があると思っているので、これからは定期的に何かを書いていきたいと思っている。

研究室のメンバーなどに「今、コレコレを勉強していて、その分野ではこーゆー概念が出てくるんだけど、・・・」といった話をすると、相手から「なんでそれを勉強しているの?何かに使うの?」と聞かれる事がある。それに対して、「何に使うかなんて考えていない、単に気になったから」としか答えようのない場合が多い。学会やセミナー(1)で出てきた話題について何の気なしに勉強したり、自分の研究とは特に関係がない事柄について取り留めもなく調べたりしている。上のようなやり取りを見て、普通の人はどう思うのだろう?「目的意識もなく漫然と勉強しても意味がない、そんな奴はプロの研究者にはなれない!」と考える人もいるのかな、という気はする。もちろん、目的意識を伴った勉強が重要なのは言わずもがなだ。博士課程の学生や研究者は皆、常日頃から自分が今研究しているテーマについて猛勉強している(自分の事じゃないので本当の所はわからないが、ここではそうだと断定しておく、というよりそうであってほしい)。流行っている研究分野(2)では特に、毎日のように新しい論文(3)が出るし、それを読むだけでも大変だ。また、基礎的な概念を勉強・復習しながら読まなければ理解できない難解な論文もたくさんある。また、科学研究では未知の事を相手にするが、既知の事実をきちんと把握しないとそもそも何が未知なのかわからない。そのような事情から、自分が研究している分野に関する勉強や情報収集は必要不可欠で、それをしないと生きていけない気がする。

一方で、「物の見方は一つではないのだから、他分野の事も知っておくべきだ」という言説もある。こちらの考えを支持するのも吝かではない。一つの分野にどっぷり浸かり、その分野特有の考え方が染みついて視野が狭まってしまうと、物事を多角的に見るのが難しくなる、ような気がする。一つの現象を様々な切り口で分析する事から新しい概念が生まれる、というのは科学研究の醍醐味の一つだが、多角的な視野が無ければそれができない、と思う。普段から適当に色々な事を勉強しておくと、勉強した事柄とは直接関係が無くても、従来は無かった新しい視点が生まれやすくなる予感がする。打算的な事を言えば、身に付けた知識がいつかどこかで役立つかもしれない。まぁ、未来を予測できないのでどうなるかは誰にもわからない事ではあるけれど。

グダグダと偉そうな事を書いたが、もちろん反対意見もある。たとえば、一つの分野に傾倒しても視野が狭まるわけではない、とか。色々な事を薄く広く勉強してただの物知り(4)になるよりは一つの事を深く理解した方が良い、とか。何を勉強するべきか見抜く事が最も重要なのでそれを怠ってはいかん、とか。他には、お前自身が大したヤツじゃないのに偉そうな事を言うな、とか。どれも尤もな意見だ。適当に色々な事を勉強するのなんて全くの無駄で、ある対象にとことん傾倒した方が深淵な事実を解明できる可能性が高いのかもしれない。完全に片方の考えに執着しているわけではない事は、前段落で後半になるにつれて語尾がフニャフニャして行く様子からも察してほしい。「何が言いたいんだ!!」というツッコミ待ちのような文章だが、自分が両方の考え方の間で日々揺らいでいる、という証左ではある。両方のタイプの研究者がいるべきだ、という気もする。実際には、完全にどちらかに傾いている人はほとんどいなくて、皆さん良い塩梅でやっているのだと思う。あらゆる事柄を深く広く理解している人(5)の存在を知ると、というか頻繁にそーゆー人を見掛けるが、そんな時は自分の無能さを再認識したりもする。また、何かを「勉強する」と一口に言っても、「ある研究分野の存在を認識し業界全体のモチベーションを大まかに理解する」、「理論体系の原理及び論理構造を理解し、細部を省略すれば他人に説明可能となる」、「頻繁に用いられる計算手法などを実際に使ってみてある程度身に着ける」といった様々な到達点が有り得る。一つの事柄を深く突き詰めるか色々な事柄を浅く勉強するか、といった問題には、その追及や勉強の「程度」も重要な要素だろう。言いたい事は大体言ったので終わりにするが、この文章のタイトルは最近読んだエッセイ集のタイトルを真似している事だけ最期に一応書いておく。誰のエッセイ集かわかった場合は望月に是非伝えてほしい、きっと犬のように喜ぶだろう。

1.学会やセミナーというのは、研究者が集まって、自分の研究成果について発表したり、他人の発表を聞いて質問したり議論したりする場。誰が読んでいるのかわからないので、何に対して説明が必要なのか皆目見当がつかない。「そんな説明は必要ない!バカにしているのか?」と感じる方には、真摯に謝るしかない。

2.研究分野にも流行り廃りがある。これは、自分が研究者コミュニティに入って驚いた事の一つだ。自分が世間知らずなだけで、他の人達には自明の事である可能性が高い。

3.研究者は、研究成果がある程度まとまると、論文というものを書いて発表する。国内外でどんな研究が行われていているのかを把握するためにも、他の研究者が書いた論文を読む事はとても重要だ。出身研究室の先輩は、「研究者とは論文を読む生き物だ、論文を書く生き物でもあるけど」と言っていた。今この瞬間にも、「ロクな論文を書いていないくせに、こんな駄文を認めている場合か?」という悪魔(天使?)の囁きが聞こえる。

4.伝わりにくいかもしれないが、"ただの物知り"というのはただの悪口だ。

5.しかもそれを短時間でやってのけるのだ。畜生!!